お年寄りの気持ちについて(介護教室第1回)

第1回 お年寄りの気持ちについて

“年寄りの冷や水”という諺があります。これは、老人が体によくない冷や水を飲んだり浴びたりすることの戒め、つまり老齢にふさわしくないことをするのを冷やかしたり警告したりしているのですが、そもそも、お年寄りとか老人とかは、だれがどのように決めているのでしょうか?考えてみたいと思います。

1. お年寄りの気持ちは・・・「あんたも、年をとったらわかる。」

介護の心得で、「相手の身になってものを考え行動できる人になって、人の痛みを感ずる心を持ちましょう。」があります。言わんとすることはわかりますが、これは無理です。相手の身にはなれません。その時の相手の状況を自分勝手に推測して、自分の身でものを考え行動するしかないのです。

人の痛みもわかりません。でも、自分が相手と同じような状況(例えば、いじめ)を体験していれば、その時の自分の心の痛みを思い出し「あなたの気持ちは、痛いほどよくわかります。」と言えるのです。人の痛みはわかりませんが、人の痛みを感ずる心は持つことができます。自分の心や気持ちですから。

お年寄りに限らず、相手の気持ちはだれにもわかりません。自分の気持ちは、わかります。自分(自身の、性別、年齢、境遇など様々)に似れば似るほど、自分に近ければ近い分、相手の身になれるでしょう。お年寄りの気持ちは、「あんたも、年をとったら(お年寄りが、あんたにとって、とても身近な存在となったとき)わかる。」ということではないでしょうか。

2. 老人が、冷や水を飲むについて考える

(1) 自己認知のまずさ

・老人とは、何をとらえて何をさしているのか基準がない ・社会通念として理解しても、自分自身は未経験であるがゆえにはっきりしない ・老い(老化現象)がゆっくりやってくる

(2) 回帰願望

「お若いですね!」、「本当にそんなお年ですか?」と言われてうれしいのは、 ・若さが価値のあることであり、したがって老いることは価値が低い ・生産性の高いものに価値があるという生産性尺度のみで人を評価する価値観があるから

(3) 老いの受け入れ

・回帰願望がそれを阻止している ・“健康で、自立的で、幸福な老年期のひきのばし”を目指し、老いを意識しないようにしている

※年月や年齢の命ずるところに逆らうことなく、例えば“寝たきり”、“死”ですらそれを受けとめ、人間的成長の糧とし、そういった形での「老い」の受容こそが、(若い人には望んでも得られない)高齢者の特権と考えるのです。

3. 老いについての古い(興味ある)資料